タントラとも関係する不動明王

施術をしているときにスピ系の仕事をしている方に「先生の後ろに不動明王がいてエネルギーを送ってくれていますよ」と言われたことがあります。
その後、不動明王について調べたりして、空海の真言宗とタントラはかかわりがあり、真言宗の神様がなんと不動明王だったんですね。
不動明王は、真言宗をはじめとする密教の中で、とても大切にされてきた存在です。名前や姿から、少し厳しい仏さまという印象を持たれることもありますが、その立ち位置は感覚的なものではなく、はっきりとした教えと実践に基づいています。明王とは、仏が人を救うために、あえて怒りの姿をとった存在のこと。不動明王はその中でも、大日如来の教令輪身とされ、大日如来の意志を、私たちの現実の世界で実行する役割を担っています。
空海が伝えた真言宗の根本にある考え方は「即身成仏」です。これは、何かを手放してから悟るのではなく、今の身体、今の感情、今の未完成さを含んだままで、仏の境地に近づいていくという教えです。そのため真言宗では、欲や感情を否定したり、押し込めたりすることはしません。むしろ、それらをどう扱い、どう整えていくかが大切にされます。不動明王は、そのために寄り添う仏だといえます。
不動明王の険しい表情や、背後に燃える火焔は、怒りや罰を表しているわけではありません。それは、迷いや執着、感情の揺れが大きくなりすぎたときに、そっと歯止めをかけるための姿です。密教では、人の心、とくに身体と深く結びついた欲や不安は、優しい言葉だけでは整わないと考えられてきました。不動明王は、感情を切り捨てるのではなく、見失わないように守り、正しい場所へ戻す力を象徴しています。
仏教の教えの中に「性的エネルギー」という言葉は出てきませんが、密教では、生命力や欲、感情、執着を、すべて同じ流れのエネルギーとして捉えます。それを抑え込むのではなく、智慧へと転じていくことを「煩悩即菩提」と説きます。この考え方は、インド密教やタントラ思想とも重なる部分があり、不動明王は、その思想をとてもわかりやすく形にした存在だと見ることができます。
不動明王が手にしている剣と縄にも、やさしい意味があります。剣は、考えすぎて苦しくなった心を静かに断ち切る智慧を表し、縄は、迷って離れそうになった心を、無理なく本来の場所へ引き戻すためのものです。どちらも、欲や感情を責めるためではなく、安心してこの身体に留まるための象徴です。
不動明王の真言「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」は、意味を理解しようとしなくても大丈夫だとされてきました。静かに唱えることで呼吸が整い、心と身体が少しずつ落ち着いていく。その体感そのものが大切にされてきた修行です。
歴史を振り返ると、不動明王は修行者だけでなく、日々の暮らしを生きる女性や庶民からも深く信仰されてきました。感情や欲を多く抱えながら生きるからこそ、不動明王の「揺れを整える力」が必要だったのだと思います。不動明王は、欲を肯定する仏でも、否定する仏でもありません。今ここにある生命力を、乱さず、傷つけず、静かに支える存在です。
そうして見ると、真言宗における不動明王は、女性が自分の内側に戻るための、とても現実的で、身体感覚に寄り添った仏だといえるでしょう。強くなるためではなく、無理をしないために。動かないという名の中には、そんな深いやさしさが込められています。
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日常の慌ただしさからそっと距離を置き、心と身体が“元の自分”へ戻っていくための静かな場所です。気功でエネルギーの流れを整え、レイキで深いリラックスをつくり、タントラで内側の女性性や感性をやさしく目覚めさせる——そんな調律を大切にしています。初めての方でも安心して受けられる、やわらかなヒーリング時間をお届けします。
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